歌さんの別の顔

笑点の歌丸師匠は、物心ついたときからずっと「おじいちゃん」でした。


いま思えば、初めてテレビで見たときは50代だったんでしょうけど、


痩せこけたガリガリの頬、禿げ上がった頭、

いかにも時代劇に出てくるイジワルなご隠居という感じで、


自分にとってのおじいちゃんの「典型」でした。

笑点では、年長者にもかかわらず、

若手落語家たちから「ジジイ」だの「ハゲ」だのイジり倒されまくり。(泣)


そんなちょっと情けない姿が、

大多数の人が知る歌丸師匠の姿だったと思う。(自分もそんなイメージでした)


ところが、大人になり、落語の寄席に足を運ぶようになると、

そこにはこれまでのイメージとはまったく違う歌丸師匠の姿がありました。


いつもテレビでヘラヘラしているだけのおじいちゃんが、

全身全霊をかけて、鬼気迫る高座を演じていたのです。


「ああ、『笑点』と『落語』はまったく別物なんだな」と、

歌丸師匠の高座が教えてくれました。


落語界では、歌丸師匠の芸に対する厳しさは有名で、

落語家仲間から「芸の鬼」と言われていたほどです。

(笑点のイメージとは全然違いますよね)

晩年も何度か高座を聴く機会があったのですが、

酸素吸入器のチューブにつながれたまま高座に上がってました。


正直、見てる方が痛々しくて、なかなか落語を聴くモードになれるはずもなく…。


それでも歌丸師匠は、見えない何かと戦うようにセリフを吐き続け、

いつの間にか、歌丸師匠の噺の世界にどっぷり浸かっている私たちがいるのです。


そのスゴみというのは、桂歌丸という落語家が、ただ高座に座っている、

それだけでも見る価値があると思わせてくれるものでした。


テレビの世界では、いつもヘラヘラしたり、

ちょっと情けないおじいちゃんだと思っていたけど、

寄席の世界では、落語家としての本分をまっとうした歌丸師匠。


落語家として真剣に「己の芸」と向かい合っていたからこそ、

笑点の「歌さん」を演じることができたんだなと、いまなら思います。


芸(を追い求める姿勢)に自信がなければ、

あんなアホな「道化」になれるはずもないですよね。


そして、落語家仲間たちから心底愛されていた歌丸師匠だからこそ、

笑点の「歌さん」は生まれたんだなと。


あの世に行けば、談志も円楽も志ん朝も待ってるよ。

落語の稽古に益々精が出ますね。よかったね、歌さん。

M島

広告研究会

広告好きな大人たちが書きたいことを書くブログ

0コメント

  • 1000 / 1000