ミューズ問題
今ニュースにもなっているこちら。
ミューズってなんだろう。
今回の件でまっさきに浮かんだのは、アンディ・ウォーホル×イーディ・セジウィック。
*知らない人はコレ見て→「ファクトリー・ガール」
“肉体的関係なしにミューズは成立するか?”
これは昔から疑問に思っていること。
だいたいが家族か恋人ですけども、でもそれだって、外から見たらそうなだけで、本当の2人の関係なんてわかんない。
アーティスト(とくに男)×ミューズの話ってすごく美談にされがち。
でもきっと、カオリさんのような立場の女性も男性も歴史上、たくさんいたんだろうと思います。
気になったツイートをまとめます。
色んな人が沈黙する中、一緒にアラーキー氏と仕事をしてきた水原希子ちゃんは声をあげてた。 pic.twitter.com/gelh9NQG6t
— 石井 リナ/ Rina Ishii (@rina_ishii_99) April 9, 2018
ショック、もう見ないとかいきなりバッシングされているけど、このような告白読む前から、その作品を見ればそんな女性蔑視観は明らかで、多くの人が自分の中にそういう憧憬があったから売れていたわけだから、その写真家じゃなく、自分の中を見つめ直す機会なんだと思う
— 原サチコ (@SachikoHaraDE) April 7, 2018
アラーキーのモデルやってた人の話が話題だけど、大学のときよく見かけたのは、女の子で、「すごい人」に心酔してどこまでも着いていっちゃう人がかなりの数いることなんだよね。男の子だとなぜかそういう人はいたかった。自分が有名になりすごくなりたいっていうのを誰かに転嫁しちゃうのかも。
— Masaki Ohashi (@ohashimasaki) April 7, 2018
それは実際あるね…あったね。
「アタイはのしあがるために男を使ったる」という女帝スタンスは本人地獄だけど、みててカタルシスはある。
でも女帝の場合は有名になりたいわけじゃなくて、世間を見返すため&いろんな復讐なので↑とは本質違いますね。
このタイミングで読んだらめっちゃ沁みたジャッキー・フレミング「問題だらけの女性たち」。中ページ写すのはダメかもしれないけどミューズ問題がちゃんと論じられてる名著だってことをお伝えしたくて。あとちょっとダーウィンが嫌いになります(マジで pic.twitter.com/OV3qzteRul
— アコムギ (@akomugi) April 8, 2018
うおこの本は超絶面白そうだ!
荒木経惟の写真は誰かの犠牲の上に成り立っている、それはKaoRiが身を挺して発したメッセージだ。そう思うともう気軽に彼の写真を見ることはできない。こういう忖度の空気をつくったのは我々なのだとも思うし、僕にも責任の一端は多分にある。写真に関わる者が皆等しく負うべき負の遺産だ。(続く)
— photo_graphica (@photo_graphica) April 9, 2018
人を斬ることが好きな人は、荒木経惟を酷いやつだと言えばいい。事実、そんな証拠はいくらでもある。素晴らしい人だという証拠もいくらでもある。これはこの業界が抱える問題であるとともに、私写真が含む男と女の非対称性の問題で、人間の善し悪しを言ったらアーティストなんか悪人ばかりだよ。
— masako toda (@kumamuta) April 9, 2018
アラーキー、キム・ギドク、ベルトルッチと好きだった美術家が揃いも揃って性犯罪や暴力や搾取を告発されてて、ショックな反面これでいいんだと思う。芸術は結局のところ時代時代の共通のコードの上にしか価値は生まれない。男尊女卑を内面化したアーティストは、もう価値がつかない時代。それでいい
— さよ (@Sayolanthe) April 7, 2018
ウディ・アレンもな。
人がからまない犯罪なら作品と監督別で見れるけど、人が絡んでくるときつい。
カオリさんは、本当に2000年以降の荒木作品を象徴するようなモデルで、写真界隈でもすごく有名な人。そんな人が2016年に長年のアラーキーと関係を断って、こういうテキストを発表した事実を美術&写真界隈は真剣に受け止めないといけない。だけど、本当にあの人もこの人も沈黙してる。
— Taisuke Shimanuki (@nukisuke) April 7, 2018
アラーキーはそもそも私写真の人。これが奥さんだったら…また別の話なのかも。
奥さん撮ってるときのは、じんめりた湿気が感じられて好きだった、
大学生のときは。
Mべ
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